1. はじめに
2021年6月3日、当法人代表者(以下「私」といいます。)の子、稲葉正之(まさゆき)は、25歳で自ら命を絶ちました。
私は、息子の自死が、「職場におけるパワーハラスメント」(以下「パワハラ」といいます。)と関係しているかもしれないという話を聞き、息子の職場で何が起きていたのか、息子が自死するに至った原因を様々な手段で明らかにすることを試み、関係資料を整理し、関係機関への相談等を通じて事実関係の把握に努めてきました。息子の職場に対しては、原因の追究、事件の検証および再発防止策を要求してきました。
本ページではその活動の記録をご紹介します。なお、本活動の記録は、私の息子の事件に関する一例です。パワハラ事件一般にこれが当てはまるわけではありません。
2. 主な事実経緯
当法人の活動を理解していただくため、小説「僕は正之」を掲載しています。この小説は、事実に基づくフィクションです。個人や法人が特定されないように、仮名に変更してあります。事実関係の記録・評価を目的とするものではありません。
以下に主な事実経緯を抜粋します。
詳細な事実経緯を閲覧希望のかたはNPO代表者にご連絡ください。 お問い合わせ
| 1995.10.21 | 正之が出生。 |
|---|---|
| 2019.04 | 正之がA社に入社 |
| 2020.01 | 正之の指導担当者がXに交代になった。前任の指導担当者は関西方面へ異動。 |
| 2020.07 | 正之は、この頃から倦怠感を感じるようになる。 |
2021年
| 2021.1.21 | 正之は、1月中旬に会社を休むようになり、精神科を受診した。「抑うつ状態」の診断を受ける。 |
|---|---|
| 2021.06.03 | 正之が自死。正之の職場から、父である私に、正之が出勤していないとの連絡がある。自ら命を絶っているところが発見された。本人の遺書が見つかった。警察の検死の結果、自死と判断された。 |
| 2021.06.06 | 告別式に、正之を慕う、親戚、小中高大学の友人、職場の仲間が参列。告別式の後、息子と同じ職場の方から、職場で「パワハラ」の疑いがあったというお話を伺う。 |
| 2021.06.12 | 正之の通院していたメンタルクリニックで精神科医と面談し、診療経過について説明を受ける。 |
| 2021.06.15 | メンタルクリニックより、正之の診療録(カルテ)の開示を受ける。 |
| 2021.06.21 | メンタルクリニックより、正之の診断書(2021年1月21日初診で「抑うつ状態」の診断を受け、4月10日時点で通院中)の開示を受ける。 |
| 2021.06.30 | A社より本件に関する調査の状況について中間報告がある。A社が職場の従業員に対して実施した面談の記録など。正之の指導記録(毎月の指導内容を記録したもの)が開示された。 |
| 2021.07.20 | A社から本件に関する追加の調査報告がある。7月7日に実施した面談の記録。 |
| 2021.08.11 | 私から、A社に対し、A社の調査報告に対する質問書を提出。 |
| 2021.09.24 | A社から当法人代表者に対し、経緯説明および謝意が示され、私が息子の死亡につき、労災の申請を行うことを了承した。 |
| 2021.11.19 | 私の8月11日の質問書に対するA社の回答がある。A社社長は、パワハラの事実を認め、労働災害の申請をして、原因究明、再発防止に向けた取り組みを実施していくことを明らかにした。A社は、原因究明と再発防止策の実施を約束した。 |
| 2021.11.23 | 私から、A社に対して意見書を提出。A社は職場のパワハラを認識することができたのに、注意を怠ったという私の意見を伝えた。 |
| 2021.11.25 | 本件が労災であるとして、管轄の労働基準監督署長あてに、労働者災害補償保険遺族補償年金等各種年金支給申請書を提出(以下「労災の申請」という。)。 |
2022年
| 2022.01.17 | 管轄の労働基準監督署あてに、労災の申請に関する「申立書」等を提出。別紙で、事情説明書、高圧的な言動の期間と精神科医診断結果の相談、提出資料説明書(提出資料の目録)を提出。本件パワハラに関する具体的な事実関係と、これと正之のうつ病との因果関係を説明した。提出資料説明書に記載した提出資料は、後日、労働基準監督署に直接持参した。 |
|---|---|
| 2022.02.18 | 私は、労働基準監督署で、労働基準監督官に、本件に関する経緯や提出資料について説明した。労働基準監督官は、申立書と同時に提出した上記調査資料が詳細にまとめられており、事案の大部分をよく理解し、そのうえで聴取が実施された。同日、私の調書が作成された。 |
| 2022.03.01 | 私は、独自に調査したことに基づいて、本件労災事件に関して、具体的に調査を求める事項を書面にまとめて提出した。 |
2023年
| 2023.02.09 | およそ1年にわたる調査の結果、労働基準監督署が、本件を労災と認めて、各種労働者災害補償年金の支給を決定。 |
|---|---|
| 2023.02.21 | 管轄の労働局長に対して、労災の支給決定に関する保有個人情報の開示を求める開示請求書を提出。 |
| 2023.04.18 | 上記保有個人情報の開示請求に対し、管轄の労働局長が、部分開示(その余の部分は不開示)決定をする。 |
| 2023.05.18 | 部分開示された資料は、黒塗り(不開示)が多かったので、私は、厚生労働大臣あてに、不開示の決定を取り消し、開示の決定をするよう審査請求書を提出した。 |
| 2023.08.14 | 厚生労働大臣あて審査請求が、情報公開・個人情報保護審査会へ諮問される。 |
| 2023.09.15 | 私が、情報公開・個人情報保護審査会あてに、情報開示を求める意見書を提出。 |
| 2023.09.22 | A社に対して要望書を提出するとともに、労災事件に関して開示された情報を提出した。要望書にて、A社において、本件を検証したうえで、本件パワハラに関与した従業員に対する人事上の措置とパワハラ防止対策の内容の説明を求めた。 |
| 2023.10.10 | A社が、労災に関するA社の資料の開示に同意していることを確認したうえで、そのことを、情報公開・個人情報保護審査会あてに意見書2にまとめて提出した。 |
| 2023.12.26 | A社から、私の9月22日の要望書に対する回答がある。A社におけるハラスメント行為の未然防止に関する検証、本件の関係者の責任、A社のこれまでの取り組みと今後の対応について説明があった。 |
2024年
| 2024.02.16 | 管轄の警察署を訪れて、担当の警部補に、本件に関する被害届と労災事件について開示された資料の一式を提出した。 |
|---|---|
| 2024.02.29 | A社から労務問題に関する再発防止と今後の取組みについて報告があった。A社関係者の処分とハラスメント防止の取り組み状況について説明があった。A社は、正之が死亡した月を「ハラスメント撲滅月間」と定めた。 |
| 2024.03.29 | A社と合意書を締結。A社がパワハラについての安全配慮義務違反に基づく損害賠償義務を認めて、パワハラ再発防止策を確実に実施することを内容とする。 |
| 2024.04.01 |
「特定非営利活動法人まさゆき」(NPOまさゆき) 設立 |
| 2024.06.19 | 私の厚生労働大臣あて審査請求に対して、情報公開・個人情報保護審査会が答申した。管轄の労働局が不開示とした部分について、その一部を開示すべきとの答申があった。 |
| 2024.08.16 | 厚生労働大臣が、上記審査請求に対する裁決を行う。情報公開・個人情報保護審査会の答申のとおり、管轄の労働局が不開示とした部分について、その一部を開示するという裁決。 |
| 2024.09.03 | 管轄の労働局長より、厚生労働大臣の裁決に基づいて、追加の保有個人情報を開示するとの通知がある。 |
| 2024.09.06 | 追加で開示された保有個人情報を確認。 |
| 2024.09.26 | 追加開示された保有個人情報を管轄の警察署に提供。 |
2025年
| 2025.03.05 | 本件パワハラを刑事罰(傷害罪等)で処罰することは難しいことが判明。パワハラの予防と再発防止の啓発の重要性を認識した。 |
|---|---|
| 現在 |
「ハラスメント行為のない社会環境の構築」を目的としてNPOまさゆきの活動を継続中 |
3. 精神科
※主な事実経緯の表の黄緑色の内容に対応します。
息子のカバンからメンタルクリニックの診察券が発見されました。
私は、息子が通院していた精神科の医師と面談し、息子が死亡したことを伝え、息子の症状や診療経過について説明を受けました。
私は、診療録(いわゆる「カルテ」)や診断書を開示して欲しいと伝えました。医師は、私が息子の父親であることを確認し、速やかに診療録や診断書を開示しました。
診療録を見ると、精神科に通うことになった経緯、通院の記録、息子の症状の経過などを確認することができました。
ポイント
- 医師の診療録や診断書は、息子の症状に関する重要な客観的な証拠になりました。
- 労災事件の調査(下記6項参照)で「業務起因性」を判断するに際しては、精神科医の診療録と精神科医の意見が重要な判断材料になりました。
4. 勤務先A社とのやり取り
※主な事実経緯の表の黄色の内容に対応します。
私は、息子の勤務先であるA社に、息子が自死するに至った原因の調査を依頼しました。私自身は、A社で働く人々(パワハラ行為を行ったとされる当事者など)に直接お話を聞くことはできません。通常は、社内で調査できる人が調査するのでなければ、職場の関係者に話を聞いたりすることは難しいです。また、今回のようなパワハラ事件の再発防止を促すためには、自社で原因を追究し、問題点を明らかにするべきだと考えました。
A社は、私の要望を聞き入れて、子会社の従業員を含め、役職や雇用形態にかかわらず、複数の職場関係者に対するヒアリングを実施し、そのヒアリングの結果を中間報告、調査報告、追加の調査報告にまとめて、私に提出しました。職場での正之とその上司にあたる指導担当者とのやり取りが確認できる指導記録も提出されました。
A社の報告書に対して、私は自分の意見を含む質問書を提出しました。
これらのやり取りを経て、A社は、息子に対して職場におけるパワハラ行為があったことを認めて、謝罪しました。A社からは、お盆やお彼岸など、折に触れて、自宅に焼香に訪れ、複数回の面談等を行いました。正之の事件のことを常に悔やんでいる様子が伺われました。
A社は、職場で発生したパワハラが原因となって息子が自殺したことにつき安全配慮義務違反による損害賠償義務があることを認め、私との間で合意書を締結しました。 また、A社は、息子の事件を忘れることがないように、パワハラ防止月間を定めるなど、独自の再発防止策を具体的に策定し、再発防止を誓いました。私たちは、A社の職場環境について引き続き注視していきたいと考えています。
ポイント
- 事件の事実関係を明らかにするうえで、社内調査は重要です。
- A社の経営陣は、常に誠意が感じられる様子で、本件に向き合い、私が要求する原因追究や再発防止策にも、前向きに対応しました。しかし、全ての会社がそのような対応をとるわけではなく、本件は特殊な事例という意見もあります。
- 本件では、訴訟外での合意が成立しましたが、職場の安全配慮義務違反を理由とする民事上の損害賠償請求について、使用者との間で裁判外での合意が難しい場合、裁判所に対する訴訟の提起等が必要となり、解決までに時間を要する場合もあります。
5. 私が独自に調査等したこと
自分自身でも独自に調査し、資料収集を行いました。例えば、次のことです。
- 息子の職場で一緒に働いていた複数の方が、息子のことを心配し、私に職場の人間関係、息子の職場の様子、パワハラに関連する内容をお話ししてくださいました。私は、そのおかげで、息子の職場で何が起きていたのかを具体的に把握することができました。私は、そのお話を記録しました。
- 私の独自の調査の結果、正之に対してパワハラ行為を行ったと思われる当事者とその行為(暴言など)、そのパワハラを防止できなかった職場環境においてキーパーソンとなると思われる人物、その職場環境の特殊性などを特定し、私から、A社や労働基準監督署に対して、これらの人物に対する調査事項、これらの人物に質問して欲しい事項などを具体的に伝達しました。
- 正之の事件の対応や進め方に関する法的な事項や疑問点は、随時弁護士に相談して助言を受けました。
- 労働基準監督署に対する労災の申請に際しては、労災の判断においてポイントとなる「業務起因性」の論点について、自分の意見を記載した書面を作成し、労働基準監督署に提出しました。具体的には、前任者が異動になって、指導担当者が変わってから、精神面に不調をきたすことになったこと、自殺の前日の具体的な出来事、息子を死に追い込むほど暴言があったことなどです。
この他にも、労働基準監督署に対する労災の申請に先立って、必要とされる資料を準備して、取りまとめました。
ポイント
- 同じ職場の複数の方にご協力をいただき、パワハラ行為の当事者、パワハラ行為の具体的な内容、パワハラ行為が発生した職場環境の問題点を明らかにすることができました。
- 労災の申請に際して、論点となる「業務起因性」について、弁護士の意見も参考にしながら意見書に取りまとめて提出したことは、労災の調査に役立ちました。
6. 労災事件
※主な事実経緯の表の青色の内容に対応します。
私は、上記5で独自に調査・収集した資料とA社における社内調査の報告書を添えて、本件が労災であるとして、労災保険給付を申請しました。
事前に、弁護士から、本件のような事例では、職場におけるパワハラが原因でうつ病を発症し、自殺に至ったという「業務起因性」が問題になるという説明を受けていましたので、収集した資料に基づいて、「業務起因性」に関する意見を意見書にとりまとめて、労働基準監督署に提出しました。
労働基準監督署の調査官は、申立時に提出した資料をよく精査したうえで、私の供述を聴取し、その後も、およそ1年にわたり、精神科医の意見を聴取したり、A社の職場関係者に話を聞いたりするなどして調査し、本件が業務上の災害(労災)であること、「業務起因性」を認め、職場で行われたパワハラが原因で息子が死に至ったと判断しました。
ポイント
- 職場におけるパワハラ行為が原因でうつ病を発症し、自殺する事例が労災と認められるには、「業務起因性」が問題となることがあります。
- 「業務起因性」というのは、疾患や死亡の結果が業務に起因することをいいます。
- 正之の事例の場合は、職場のハラスメントという業務に起因して、精神障害(うつ病)を発症し、そのうつ症状の状態で自殺に至ったというような因果関係が認められて、業務起因性が肯定されたと考えられます。
- 「業務起因性」の判断において参考になる資料がある場合は、独自に調査収集した資料についても、労働基準監督署に提出し、意見を述べる方法があります。
7. 保有個人情報開示請求
※主な事実経緯の表の赤色の内容に対応します。
労働基準監督署により本件を労災と認める判断があった後、私は、労働基準監督署の調査資料を確認するために、管轄の労働局長に対して、保有個人情報の開示請求を行いました。
労働基準監督署など行政が保有する個人情報については、所定の手続により、本人が自分の個人情報の開示を請求することができます(個人情報保護法76条1項)。開示請求があった場合、当該行政機関の長等には、保有個人情報を開示する義務があるのが原則ですが、個人情報保護法所定の不開示情報の場合は、開示義務を負いません(同法78条1項各号)。
本件の場合、一度目の管轄する労働局長への開示請求の結果は、一部開示(その余は不開示)決定で、開示部分を確認しても、肝心のパワハラ行為に関する事実の記載の部分が黒塗りで、労働基準監督署が特定したパワハラ行為は確認できませんでした。
私は、この労働局長の一部開示決定に対して、厚生労働大臣あてに、審査請求(不服申立ての手続)をしました。当該審査請求は、情報公開・個人情報保護審査会へ諮問されました。私は、同審査会に対しても、保有個人情報の開示を求める意見書を提出しました。
情報公開・個人情報保護審査会は、管轄の労働局長が不開示と決定した部分について、一部を開示すべきと答申しました。その後、厚生労働大臣は、その答申に従って、私の審査請求につき、不開示部分を一部開示するべきと裁決し、管轄の労働局長もこれに従って、追加で保有個人情報の一部を開示する旨を決定しました。
結果として、開示された部分は増えて、労働基準監督署が確認したパワハラ行為は、概ね特定できました。
ポイント
- 労働基準監督署など行政が保有する個人情報については、個人情報保護法に基づいて開示請求する方法があります。
- 保有個人情報は開示が原則ですが、同法所定の不開示情報は開示されないことがあります。
- 管轄の労働局長の一部不開示決定に対しては、上級の厚生労働大臣に対して、審査請求による不服申立てをする方法があります。
- 不服申立てにあたっては、開示を求める対象の情報ごとに、不開示情報に当たらないことを具体的に説明することがポイントです。
以上
